野生に生きるヒトを撮る――『熊を撃つ』余話 #2

 子どもの頃から山登りと泳ぎが得意で、なおかつ生き物との出合いに胸を躍らせる性分なので、取材で猟場や漁場へ出られるのは無上の幸せだ。できることなら猟師や漁師になりたいといつも思っているが、写真による記録こそが私にしかできない仕事と自負し、カメラを猟具や漁具に持ち替える願望を自制してきた。
 とはいえ、大の男が現場でカメラを持っているだけでは木偶の坊(でくのぼう)なので、猫の手ながら仕事に参加することもままある。
 石垣島の海人の取材で追い込み網漁の船に乗れば、私も乗組員と一緒に船上で網をたぐり、水中に潜って魚を網に追い込む。大漁だったときは漁師たちと喜びを分かちあい、いつもより多くシャッターを切る。取材でもっとも心が満たされる瞬間だ。この悦びのために、面倒な取材準備をしてきたといってもいい。

 写真集『熊を撃つ』の山之村の取材では、2年目の2009年に獲物を捕獲する瞬間に立ち会えた。狩猟期間の最終日まで粘った結果だ。「獲れない年もある」と聞いていたから、実に幸運だった。

 熊は私が立っていた場所からわずか数メートル先で仕留められた。熊と猟師の緊迫した対峙をカメラにおさめたいと願っていた私だが、あまりの至近距離に体が震えた。
 この熊は100キロを超す大物で、帰路は4人の猟師とともに獲物に結んだロープを引いた。熊が冬眠する場所はかなりの奥山なので、村に帰るには谷と尾根を何度も越えなければならない。この大荷物は体力的にこたえるはずなのだが、脳内物質が大量に分泌されているせいか全身に力がみなぎる。家族が待つ猟師たちはなおさらだろう。

 昭和30年代まで半年もの間、雪に閉ざされた山之村では、獲物の熊は村人の命と暮らしを支える特別な存在だったという。私は、鍋で煮える熊汁のことだけを考えて汗をかいた。すっかり日が暮れ、闇夜の山中から山之村の灯りが見えたときの安堵感は言いようのないものだった。

 冬期の山之村では猟のほかに、郷土食の「寒干し大根」作りが盛んだ。厳寒期に行われる大根の凍結乾燥はこの地の冬の風物詩で、集落のそこここで大根を茹でる湯気が立ちのぼり、干し台にみごとに並べられた光景が見られる。山間の豪雪地ながら環境と一体となった暮らしが、そんな美しい光景を生み出していた。野生の世界に足を踏み入れる熊猟だけでなく、集落のなかでも土地と調和した人間の営みが受け継がれていることに深い感動を覚えた。
 ここには都市社会で失われた「命の存在」がしっかりと脈打っていた。

 ヒトが生物としてありえない数と、ありえない密度で地球の表面を席巻する現代にいたって、この種はどうしてこうも不格好に進化してしまったのかと途方に暮れる。疫病の蔓延や同種同士の争いなどで数を減らす局面はあっても、絶滅を迎えない限りその貪婪な欲望が尽きることはないだろう。もちろん私自身、欲に翻弄されながら生きる残念な同種のなかの一頭にすぎない。
 もし、ヒトが地球上で生物種としての役割を果たす生き方に立ち返られるならば、そのとき私が写真に撮りたいと願っている本来の「自然」がはじめて目の前に現れるに違いない。しかしそれは虚しい幻想にすぎない。
 せめて現代においては、野生に生きる狩猟民からヒトの根源的な生命力を見出し、写真におさめることが、自然を対象とする私の仕事と考えている。


西野嘉憲 

写真家。1969年大阪府生まれ。早稲田大学教育学部卒業。東京の広告制作会社勤務を経て、2005年より沖縄県石垣島を拠点にフリーランスとして活動。漁業、狩猟など、人と野生の関わりを写真の主なテーマとする。日経ナショナルジオグラフィック写真賞2018ピープル部門最優秀賞受賞。

関連書籍

【連載】『熊を撃つ』余話

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