新刊『熊を撃つ』は、私にとって『鯨と生きる』『海人』に続く、狩猟民をテーマにした写真集3部作の最終刊という位置づけだ。私の取材活動は一生追い続けられる、時代に左右されない事象をテーマにしたいと考えて、いわゆる自然を対象にしてきた。ただし、「自然」とは実に都合のいい言葉で、人間にとって美しいものをそう呼び、不都合、不愉快なものを「不自然」と呼ぶことが多い。そして自然のなかに人間は存在しない、あるいは存在すべきではないというのが、都市社会での主流な考え方だと感じている。本来、生物としての人間は自然そのものであるはずなのだが。
「自然に背を向けた人間はどこに向かうのか」——そんな疑問が私の取材の動機だ。その謎解きのために、自然との関係性が不可分な狩猟民の門を叩いてきた。奄美大島のハブ捕り人、石垣島の海人(うみんちゅ)、千葉房州の鯨捕りなど、野生の世界に生きる人々を追ってきた。これまで取材に26年を費やしたが、その核心は言葉にできないゆえ、いまも主に写真による取材と発表を続けている。
『熊を撃つ』は、2008年から取材をはじめた。雪国での熊(ツキノワグマ)猟は日本の代表的な狩猟文化であるから、自身のテーマとして取材は欠かせないと早くから考えていた。熊猟といえば狩猟民の代名詞的存在である「マタギ」が思い浮かぶが、私がいくつか見た現代の猟の映像では高性能なライフル銃で数百メートル先から熊を狙うことも多く、一枚絵が前提の写真ではとうていその緊迫感を伝えられないと感じていた。また、自然のなかで生きる人々を描くためには、その舞台となる生活環境も重要だった。
そんな私の手前勝手な構想もあり、取材先の選定には慎重になっていたが、ひょんなきっかけで旧知のスポーツライターから連絡をもらった。話を聞くと、東京から移り住んだ地が北アルプスに連なる標高1000mの「秘境」で、そこには代々、熊猟を営む猟師が暮らしているという。電話を切った後で少し調べると、この地域の熊猟は冬眠穴を狙うため、至近距離で熊と対峙するらしい。当地の熊猟の取材や調査が手つかずであることにも惹かれた。思わず膝を打って、住まいのある石垣島から、飛驒地方の最奥に位置する「山之村」へ向かった。
2月でも20℃を超える日が珍しくない南の島から、氷点下20℃を記録する雪国への移動は新鮮で、2mもの雪におおわれた山之村に着くと夢中でカメラのシャッターを押した。この時点では旅人気分だったが、すぐに麓の町で忠告された言葉を思い出した。
「山之村の人々は厳しい環境に暮らしている。物見遊山で(猟の)写真を撮るのはいかがなものか」
猟や漁の現場は禁秘的な側面を持っているため取材を断られることが多く、それゆえ取材交渉には神経を使い、それなりの労力を強いられる。だから交渉を乗り越え、現場に立ちさえすれば、取材の90%は成功したようなものだ。
さいわい今回は知人のライターが私の取材の趣旨をていねいに猟師に伝えてくれており、「面接試験」は免除。こんなケースは滅多にあるものではない。いきなり「実地試験」へと進むことができ、足腰には自信があるので山歩きの試験もパスしたが、試験中に猟師がつぶやいた「熊がいる奥山で怪我をして歩けなくなったら、その場に置いて帰るしかないんやさ」という言葉に、つばを飲みこんで覚悟を決めた。あとは猟に出るだけだ。
しかしこの後の本番の山行で待っていたのは、吹雪く猟場だけだった。この時点で「90%達成」と思っていた自分の浅はかさを思い知らされる事態になったのである。1年目の取材は、雪で霞む視界に熊の気配などいっこうに感じることはできなかった。