オーロラが舞う夜、一人きりのテントで。ブリザードが吠える夜、仄暗い雪洞の奥で。栗秋正寿は毎晩、かじかむ手で小さなノートに文字を刻んできた。世界で唯一の〝冬のアラスカ専門登山家〟による貴重な記録として、詳細なデータ満載のメモをほぼ原文通りに再現。シリーズ第1回は、2007年のフォレイカー冬季単独登頂(世界初、現在まで栗秋氏のみが達成)――《閑人堂主人》
2007年1月31日(入山初日)
わずか3日のフライト待ちで(登山の拠点となる町、タルキートナから)カヒルトナ氷河に入山。
TAT(タルキートナ・エアー・タクシー)のポール・ロデリックが操縦する「セスナ185」でまっちゃん(日本人写真家の松本紀生さん)と同じ地点にランディング。南風が強いため、ポールの判断で通常よりかなり下方の着陸ポイントとなり、カヒルトナ氷河の本流エリアにBC(ベースキャンプ、1970m)を作った。テントを張り、まっちゃんのキャンプサイトで少し休む。
とにかく雪が少ない? 暖かすぎる。こんな冬は初めて。昨日のデナリ国立公園(観測地点)では華氏50度(摂氏10度)の異常気象。まっちゃんも、こんな変な天気は初めてだといっていた。
午後7時の気温、わずかマイナス1度~マイナス2度。820ヘクトパスカル。
デナリ、フォレイカー、ハンターの三山にはレンズ雲がかかっていて、明日からの天気が気になる。雪が少なくて雪洞が掘れない可能性もある。テント用のスノーペグをもっと持参しておけばよかったが、太い竹ざおで代用するしかない。
2月1日(入山2日目)
午前4時30分、気温マイナス14度。午前5時40分、気温マイナス9度。曇り~雪。南よりの弱風。昨日と同じ風向。
よく寝た。満月の明かりで明るい一夜だった。
南東支稜の北ルートでアプローチ。スノーブリッジが薄く、ストックでヒドンクレバスを壊してしまい、肝を冷やす。ルートをクロッソン(3901m)よりにとり、まわり込んで取りつく。ルートの傾斜は25度、30度、40度~45度と増すが、ほとんどウインドクラスト(風で雪が固まった状態)していてアイゼンがよくきく。
C1(キャンプ1)予定地のひとつ下のピークで、スコップ、60mロープ×1、デッドマン×2、アイススクリュー×1、旗ざお少しをデポして下りる。行動中の気温はマイナス5度?と高いが、南よりの中風~時どき強風に悩まされた。
BC午前8時10分 → C1直下のデポ地点午後1時43分 → BC午後4時30分。
午後7時、晴れ~時どき快晴、満月、南よりの風、気温マイナス7度、815ヘクトパスカル。
2月2日(入山3日目)
午前6時30分、曇りとガス、南よりの中風~時どき強風、気温マイナス7度、811ヘクトパスカル。
携帯用の航空無線機で聴けるアメリカ国立気象局によると、今日のデナリ国立公園は曇り、明日は曇り~晴れの予報。早朝より視界が悪くなっているため、BCで停滞か?と思いつつ待機中。曇りとガス~曇り → 雪 → 曇り → 曇り~晴れと好転のきざし。雪で停滞かと思ったが、雪がやんで曇りとなり、取りつき地点まで荷上げをする。クレバス転落防止用のポールを3分の4インチ・サイズのものから、2分の1インチ・サイズのものに変える。
出発時に雪雲が近づいていたため、BCから旗ざおを立てて進む。気温が高く湿雪で、スキーのシールに雪がついてうまく滑らない。ホワイトガソリン×6ガロン強(24リットル)、コンロ予備、みそ汁×30、めん10食×2、ラーメンの具、旗ざお多数をデポした。帰りに雪となって視界が悪く、旗ざおをたよりにBCに到着。
BC午後1時25分 → 取りつき地点 → BC午後4時45分。
午後7時20分、曇り~晴れ、北よりの弱風、気温マイナス18度、813ヘクトパスカル。テントのベンチレーションからハンターの尾根とオリオン座が見える。
2月3日(入山4日目)
午前7時、快晴~晴れ、三山に少し雲がかかる。北よりの弱風、気温マイナス14度、810ヘクトパスカル。
冷え込むはずの好天の夜や早朝でも、気温がマイナス14度までしか下がらない。本当に暖かい冬だ。入山中にドカンと気温マイナス50度の日はくるのか?
今日の荷上げの際、トレース上だったが右足のスキーとストックでヒドンクレバスを踏み抜いた。脱出まで30分かかったが、長さ4.2mのポールは心強い。今回は南東支稜の北ルートだが、通常の南ルートからアプローチしたほうが雪崩とクレバスの危険性は低い。
午後3時40分、快晴、北よりの弱風~時どき中風、気温マイナス17度、809ヘクトパスカル。
明日の荷上げの帰りにBCから写真を撮ってもらうため、まっちゃんにカメラを渡す(撮影は実現せず)。TATのポール・ロデリックがBCに飛来した際、しばらく好天が続くことをまっちゃんに伝えたそうだ。
夕景色のなか、タルキートナからの遊覧飛行で4人のBC訪問があった。
2月4日(入山5日目)
快晴、北よりの弱風、気温マイナス22度、808ヘクトパスカル。
深夜は北よりの中風が吹く。快晴 → 晴れ → 曇りの天気。取りつき地点まで荷上げをする。(アライテント特注の)インナーブーツカバーの調子はよい。はっ水ツエルトの生地で試してみてはどうか?
BC帰着後に雲が増える。荷物の整理をして明日のC1入りに備える。夕食前にまっちゃんのテントに最後の挨拶に行く。晴れ~曇りのなか、夕焼け雲が三山の山頂にかかっていた。フォレイカー北東壁で雪崩の音を2回聞く。
BC午前9時35分 → 取りつき地点 → BC午後1時20分。
午後7時30分、晴れ、北よりの弱風、気温マイナス17度、809ヘクトパスカル。
栗秋正寿
登山家。1972年生まれ。1998年に史上最年少でデナリ冬季単独登頂。下山後、リヤカーを引いてアラスカの南北1400キロを徒歩縦断。2007年、世界初のフォレイカー冬季単独登頂に成功。2011年に第15回植村直己冒険賞を受賞。20年以上アラスカの山に挑み続け、冬の単独行は合計16回、延べ846日。趣味は川柳、釣り、ハーモニカとピアノの演奏、作曲。