冬季ソロ登山のエキスパートは、下山後にどんな反省をして、次のチャレンジにどう生かしてきたのか。厳冬期のアラスカで20年以上も冒険を続けた栗秋氏が、2007年に世界初のフォレイカー冬季単独登頂を達成したときの詳細なメモをもとに、冒険家のリアルな「反省点リスト」を特別公開します――《閑人堂主人》
反省ノート⑦防寒ウェア
冬のフォレイカー単独登頂に4度目の挑戦で成功したものの、その直後にヒヤリとする経験をした。天気を読み間違えて最終キャンプにたどり着けず、緊急措置として掘った小さな雪洞でビバークを余儀なくされたのだ。気温マイナス28度の雪洞内で寝袋なし、着の身着のままで一夜を明かしたときのウェアについて考えてみたい。
まず、ホットチリーズ社の化学繊維の下着「MTF4000」の上下、その上に薄手のフリース生地、同社の「ラ・モンタナ」の上下を2層目の下着として着用した。この上に中間着なしで直接、ヴァランドレ社のダウンジャケット「フードシャマニー」を2着(XLとXXL)重ね着し、同社製ダウンパンツ「バンキース」をはいた。中間着を省くのは、ダウンのロフト(膨らみ)を最大限にいかすためである。ちなみに、バンキースには低温下で開閉しにくい前開きファスナーがないかわりに、大きめのウエストに伸縮性のコードロックがついている。ハーネスをつけたままでも楽に〝キジ撃ち〟(小キジ)ができるという優れものだ。
足部は、ウールと化繊の混紡の2枚のソックスをスペアにはき替え、ヴァランドレのダウンブーツ「オラン」、アライテント社に特注したエクスペディション・オーバーシューズ「栗秋スペシャル」をはいた。手には、スペアとして持っていたウールの薄手インナーグローブとフリースのミトン、ヴァランドレのダウンミトン「ウラル」をはめた。頭部はフリースのキャップとネックウォーマー、ダウンジャケットのフードを被った。
基本的に小物衣類はスペアと交換し、汗で濡れたものは2枚の下着の間に入れて体温で乾かした。ザックやロープなど携行していたものを活用して寝床を作り、薄い銀マットを敷いて断熱し底冷えを防いだ。熟睡できるかどうかの問題以前に、とくに底冷えは低体温症の危険があるので侮れない。最後にゴアテックスのシュラフカバーをすっぽりと被り、どうにか寝袋なしで朝まで睡眠をとることができた。
今回のビバークが大事に至らずに済んだのは、防寒ウェアの適切な組み合わせだけでなく、眠る前に十分な水分と高カロリーで温かい食事をしっかりとることができたからだと考えている。天候の急変は想定外だったが、登頂後のビバークは想定内だったので、しっかり準備ができていた。とはいえ、気温マイナス45度の山頂に立ち、なんとか掘り終えた小さな雪洞に避難したときは、最終キャンプを出発して16時間以上もたっていた。極度の疲労のなか、炊事をして食事をとりながら、生きて帰ることだけを考えていた。
栗秋正寿
登山家。1972年生まれ。1998年に史上最年少でデナリ冬季単独登頂。下山後、リヤカーを引いてアラスカの南北1400キロを徒歩縦断。2007年、世界初のフォレイカー冬季単独登頂に成功。2011年に第15回植村直己冒険賞を受賞。20年以上アラスカの山に挑み続け、冬の単独行は合計16回、延べ846日。趣味は川柳、釣り、ハーモニカとピアノの演奏、作曲。