世界初フォレイカー冬季単独登頂・全記録 #11

オーロラが舞う夜、一人きりのテントで。ブリザードが吠える夜、仄暗い雪洞の奥で。栗秋正寿は毎晩、かじかむ手で小さなノートに文字を刻んできた。世界で唯一の〝冬のアラスカ専門登山家〟による貴重な記録として、詳細なデータ満載のメモをほぼ原文通りに再現。シリーズ第1回は、2007年のフォレイカー冬季単独登頂(世界初、現在まで栗秋氏のみが達成)――《閑人堂主人》

2007年3月22日(入山51日目)

小雪 → 曇り → 晴れ時どき快晴。気象局(アメリカ国立気象局)の予報のとおり、天気は回復した。

スキーデポ地点まで1回目の荷下げ。昨日からの約20センチの新雪が硬い雪面の上に載ってよいクッションになる。そして強風が雪を飛ばして、1か月前の登高時よりルートは容易である。ただしクレバスが現れていて、少し肝を冷やす場所がある。登高時にヒドンクレバスらしい2か所を通過していたが、それらの両側がほぼすべてオープンクレバスとなって露出していた。

スキーデポ地点では、立てていたクレバス(転落防止用の)ポール2本に保温ボトルのお湯をかけて雪面からひき抜いた。また、スノーシューデポに立てた2本の釣りざお(3m、竹製3本継ぎ)が、上から2継ぎ目のところで2本とも折れていた。なんという風が吹いたのだろう。ソリは飛ばされずにあったが、あの安価なトラロープでよくもったものだと感心した。

BC(ベースキャンプ)デポに立てたクレバスポール2本と釣りざおの旗が確認できた。やはりまっちゃん(日本人写真家の松本紀生さん)の姿が見えないので、もういないらしい。でも、どうやって下山した?

今日の荷下げの途中、赤い機体(ハドソン・エアー?)が飛来したが、無線交信はできなかった。パイロットはC1(キャンプ1)~スキーデポ地点の間をC1に向かって登っている自分の姿を見たかもしれない。

C1午前11時59分 → スキーデポ地点午後1時12分~午後2時10分 → C1午後3時39分、再度ゴミ燃やし。

C3から見上げるフォレイカー南東稜

3月23日(入山52日目)

待望のBC入り。今日はけっこう行動した。C1からスキーデポ地点にいったん荷下げしてからC1に戻り、その後BCに移動した。

天気は終日曇り、時どき雲の間から日がさし込む。左のスキーを履くのに時間がかかり、スキーデポ地点~氷河本流までせっかく日光が当たったのにタイミングを逃してしまい、恐ろしい思いをした。バカだ!

スキーデポ地点~BC間はクレバスが多く、ストライプ状にサスツルギ(風で削られてできた雪面の凹凸)のある所とない所(ライン状)が交互にでてきて、1か月半以上前の登高時よりなかなか進まない。スキーデポ地点から荷物を半分に減らして正解だった。今日デポした残りのギアをすべて回収して、BCに戻ったことになる。

やはり、BCにまっちゃんはいなかった。自分のデポ地とまっちゃんが残していったかまくらのてっぺんに各1本、彼の旗ざおが立ててあった。いつ頃下山したのか? ポール・ロデリックに聞いてみよう。

BCでは自分のテントを張らず、まっちゃんのかまくらを使わせてもらうことにする。しかし、かまくらの入口から室内に雪が入り込み(しかも硬い!)、スペースを作るのに2時間以上もかかった。彼にかまくらの入口を雪ブロックで塞ぐように言い忘れたことを後悔する。

(気圧グラフの記入を忘れる。)

C1午前9時6分 → スキーデポ地点午前10時6分 → C1午後0時14分~午後1時52分 → スキーデポ地点午後2時48分 → BC午後5時23分。

3月24日(入山53日目)

天気は晴れ~曇り → 晴れ~快晴。

スキーデポ地点にある残りの荷物をすべて回収する。デポ地点直下の急な下りにのみ、ソリにロープを巻いてロープブレーキを使った。今日は飛行機が1機も飛来しない。

BCに帰着して間もない午後5時30分、気温はマイナス35度! 昨日も同じくらい冷えたのかもしれない。深夜や早朝はもっと冷え込む? 昨夜のかまくら内の気温マイナス28度も頷ける。BCのデポリストをチェックした。今晩のかまくらでは、ドデカいロウソクを灯してみた。

BC午後1時53分 → スキーデポ地点午後3時25分~午後4時 → BC午後5時14分。

登山装備と軽飛行機、タルキートナ飛行場にて

3月25日(入山54日目)

天気は晴れ~曇り。終日、デナリやフォレイカーの山頂には雲がかかる。山の上部は風が強そうに見える。

荷物のチェックと整頓、ゴミ燃やしをする。

K2航空?の赤い「ビーバー」または「セスナ206」1機が遊覧飛行していたが、TAT(タルキートナ・エアー・タクシー)は飛来せず。

日中のかまくら内の気温はマイナス15度だが、氷河上に日が当たると外の気温はマイナス5度と暖かい。夕方から夜にかけて、気温はマイナス35度~マイナス37度、かまくら内の気温はマイナス23度~マイナス25度まで下がる。

午前0時ごろ外に出てみると、半月のなか三山に雲がかかっていた。南の空には薄いオーロラの帯?が見える。大きなサスツルギのため、ここBCに軽飛行機は着陸できず、カヒルトナ氷河の南東支流まで登らないといけない。今回のオーロラ撮影は無理かもしれない。

3月26日(入山55日目)

天気は小雪 → 曇り → 晴れ。雪は午前中でやんだ。気象局(アメリカ国立気象局)によると、アンカレジもマタヌスカ渓谷もフェアバンクスもすべて晴れ~曇りまたは晴れの予報である。BCのサスツルギが埋まるほどの降雪は期待できない。

夜はオーロラがでた。外の気温はマイナス34度。フォレイカーの上空にもかすかな光が……? デナリの北の空には横一線に帯状のオーロラが表れて、その後ダンス! だが半月の明かりのほうが強く、オーロラの光がはっきりしない。深夜や明け方のオーロラはどうなったのか……?

フォレイカー(左)スルタナ稜とオーロラ

3月27日(入山56日目)

カヒルトナ氷河の南東支流に荷下げをする。片道約5キロの氷河遡行である。
天気は終日、晴れ~快晴。三山に雲がかかる程度で風は弱く、穏やか!

BCを出発する前に、K2航空の女性パイロットと無線交信した。明日の午後にカヒルトナ氷河の南東支流に着く予定であり、TATのポール・ロデリックにピックアップしてほしい旨を伝えた。なお、彼女は自分のフォレイカー登頂のことを知っていた。

カヒルトナ氷河の本流から南東支流の間は、クレバスの問題なし。南東支流の登り坂から、徐々にサスツルギが小さくなる。着陸地点の周辺のサスツルギはほとんどなく、スムーズに見える。もちろん、ルート上はフラットに見えても、少しラッセルする所もあるが……。

南東支流の着陸地点から戻るとき、氷河の様子を見に来た軽飛行機が、1回だけタッチ・アンド・ゴーをして帰っていった。白と赤または茶色っぽい機体だった。何のためのチェックかよくわかない。自分に挨拶したのか?

行動中は陽光と微風でほとんどダウンを着なかった。
明日、南東支流の着陸地点にすべての荷物を移動できそうだ。これで57日間の山旅が終わる!

BC午後0時5分 → カヒルトナ氷河の南東支流午後3時42分~午後4時18分 → BC午後5時26分。

3月28日(入山57日目)

午後、BCから残りすべての荷物を運び上げて、カヒルトナ氷河の南東支流の着陸地点に到着。TATのオーナー・パイロットのポール・ロデリックと約2か月ぶりの握手を交わして、「ビーバー」に搭乗した。

タルキートナに着いてから、2か月分のホットシャワーを浴び、「ラティチュード62」のレストランに直行する。

カウンター席では偶然にダグ・ギーティングと再会した。長年にわたって自分の冬のアラスカ登山をサポートしてくれた、とりわけ優れたベテランパイロットである。今回のフォレイカー登頂を、ダグは自分のことのように喜んでくれた。

まずは、アラスカサイズのハウスサラダにサウザンアイランドドレッシングをたっぷりとかける。ドデカいラティチュード・バーガーを頬張り、山盛りのフライドポテトをがっつき、ジンジャーエールをがぶ飲みする。そしてデザートは、特別注文のフォレイカー・サンデー(通常メニューはデナリ・サンデー)。

お腹も満たされ、もう最高! しかも、先に帰ったダグが、お祝いにと自分の分まで支払ってくれていた‼

2007年のフォレイカー登山ルート

栗秋正寿

登山家。1972年生まれ。1998年に史上最年少でデナリ冬季単独登頂。下山後、リヤカーを引いてアラスカの南北1400キロを徒歩縦断。2007年、世界初のフォレイカー冬季単独登頂に成功。2011年に第15回植村直己冒険賞を受賞。20年以上アラスカの山に挑み続け、冬の単独行は合計16回、延べ846日。趣味は川柳、釣り、ハーモニカとピアノの演奏、作曲。

【連載】世界初フォレイカー冬季単独登頂・全記録

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