オーロラが舞う夜、一人きりのテントで。ブリザードが吠える夜、仄暗い雪洞の奥で。栗秋正寿は毎晩、かじかむ手で小さなノートに文字を刻んできた。世界で唯一の〝冬のアラスカ専門登山家〟による貴重な記録として、詳細なデータ満載のメモをほぼ原文通りに再現。シリーズ第1回は、2007年のフォレイカー冬季単独登頂(世界初、現在まで栗秋氏のみが達成)――《閑人堂主人》
2007年3月7日(入山36日目)
悪天候のためにC4(キャンプ4)で停滞。
風で外から粉雪が入り込む。今朝の雪洞内の気温マイナス20度。
昨日の天気悪化の兆候どおり、ガスと雪のホワイトアウトと風でデポ地点に荷物を取りに行けない。燃料ボトルが満タンでも、1日半~2日分しか持たないために焦る。ヤバい、あまく見ていた。
昼過ぎに一度、短めにコンロを使用する。紅茶やコーヒーをいれ、ラーメンを作った。
午後からどんどん風が強まる。外はストーム、完全に雪雲のなかに入ってしまったようだ。気象局(アメリカ国立気象局)によると、アンカレジとマタヌスカ渓谷は、明日のほうが曇り → 曇り~晴れになると告げているので、やはり今日は行動しないことにする。
このままストームが長引いたらどうしよう……。水を作るための燃料がなければ、本当にヤバいことになる。夕方~夜~深夜にかけてずっと強風が吹く。
3月8日(入山37日目)
早朝~午前中にかけても風が強く、入口から粉雪が入り込んで雪洞内がまっ白になる。昼前に青空が見えてきたので、急いで出発準備をする。南よりの強風のなか、往復1時間30分かけて無事にデポを回収。手持ちの燃料が少なく、かなり焦っていただけにホッとした。
C4直下の平坦地(印として旗ざお2本を立てる)から、さらにひとつ下方の旗ざおから10mほど下ったところにクレバスを見つけた。足跡とほぼ並行してわずかな割れ目が走っているので、下山時に要注意である。
午後1時を過ぎて急に風が弱まり始めた。本当にツイている。ここC4も風が弱まったが、三山のうちデナリとフォレイカーの上部は強風によるレンズ雲がかかる。
C4に戻ってから外の雪を雪洞内に入れて、半クレバス雪洞の床面を補強する。これで少しはマシな雪洞になり、床面の奥側でもシュラフを広げることができる。もちろん、ブーツやアイゼンをつけて立つことはできないが……。
昨日は燃料のガソリンを節約していたので、今日は午後からゆっくりと弱火でコーヒー、ココア、紅茶をいれながら、インナーブーツなどを乾かす。
午後1時30分過ぎ、TAT(タルキートナ・エアー・タクシー)パイロットのデイブ(?)と無線で交信する。タルキートナ上空の天気予報を彼から教えてもらい、自分が今最終キャンプにいることを伝えた。
やはり滞在キャンプに1ガロンの燃料があるだけで精神的にも安心できる。理想をいえば、食料の量からあと2分の1ガロンほしいところだが、その燃料はC3にデポしてきた。
3月6日と7日の日記や気圧グラフをつける精神的な余裕がなかったので、書けなかった2日分の日記も今日つけている。腕時計の気圧グラフは5日分しか表示されないため、3月2日と3日の分は抜けてしまった。今日からロウソクもガンガン使える。この日記をつけている今もロウソク1本を灯して、手をかざしてわずかだが暖をとっている。
夕方前、ふたたび三山が雲に覆われるが、ここC4に午前中のような風は吹いていない。あとは好天を待つのみ。午後5時、雪洞内の気温マイナス22度と寒い。
C4午前11時30分 → デポ地点 → C4午後1時。
3月9日(入山38日目)
晴れでアタック日和(?)のようだが、起きたのが午前7時30分と遅い。午前3時30分にチキンラーメンを食べたが、そのときはデナリやその周辺に雲がかかっていてアタックには無理と判断、そのままシュラフにもぐり込んだ。
午前7時30分、雪洞入口の外の気温マイナス21度(?)、雪洞内の気温マイナス19度、外はもっと冷えているかもしれない。雪洞内に粉雪はほとんど入り込んでいない。
昨日のデポ回収のときに思ったことだが、入山時の南よりの強風の後、穏やかな日が続いたが、そのときの天気と似ているかもしれない。気圧グラフもゆるやかに上昇した後、昨日から一定している。気象局によるとアンカレジとフェアバンクスは今夜の曇りを除いて1週間曇り~晴れ、デナリ国立公園は明日まで曇り、明日の夜から曇り~晴れとの予報であり、アタック日和が続く可能性が高い。今日の好天は惜しいが、十分に食べて休養して明日以降の山頂アタックに備えることにする。とにかく、わずかな燃料しか持ち合わせていないときに、ストームが1日半で過ぎたのはラッキーである。
午後、雪洞入口の外から写真撮影をする。デナリの上部やデナリ・パス、サウスバットレスの尾根上などに雲が少しあり、フォレイカーも常に山頂だけ雲が少しかかっていて風がありそうだ。C4すぐ上のナイフリッジからも風が通る音がする。強風ではないが、今日アタックしなくてよかったかもしれない。明日に期待する。天気がよいのに軽飛行機の音がほとんどしないのはなぜ?
雪洞の入口からデナリを眺め、コンロを弱火にしたままコーヒーやココアをいれて、カロリーメイトをかじる。晩ご飯は2合の米のカレーライス、みそ汁、たまごスープなどを食した。
夕方になりデナリの標高約4300m以上が雲に覆われる。真っ赤な夕焼けは今日も見られない。気象局によると、マタヌスカ渓谷は明日曇り~晴れだが夕方まで風が強い。アンカレジ、マタヌスカ渓谷、デナリ国立公園の予報をすべて合わせると、明日より明後日にチャンスあり?
とにかく今日の深夜から外の様子をチェックする。アタック態勢は整っている。左足先やとくに親指も、凍傷にならずにしもやけ程度で済んでいてよかった。再度クリームをつけてよく揉んでおく。
午後6時50分、晴れ~曇り、弱風、雪洞入口の外の気温マイナス28度、593ヘクトパスカル。
3月10日(入山39日目)★登頂
山頂アタック日。
目覚ましを午前3時にセットしたが気づかずに、午前4時過ぎに風で旗ざおがカタカタ鳴る音で起きた。
午前7時48分、最終キャンプのC4を出発。2001年のときよりルートが氷化していて、ナイフリッジの通過に時間がかかる。高度に順応していないのか? ペースがあまり上がらない。ルート上のクレバスは大して問題なし。旗ざおは計16本ある。2001年のときに難しいと感じたか所がそうではなく、その他の部分がいやらしく感じたりもした。
午前10時50分、南東稜の標高約4470m地点に到着した。
午後3時8分、標高約5050m地点に到達。ここにザックを置いて山頂を目指したが、そこからが長かった。ルートのほとんどが氷化していて、ウインドクラスト(風で雪が固まった状態)した雪面のようにはとばせない。
天気もおかしかった。早朝からデナリとハンターの山頂には雲がかかっていたが、フォレイカーだけ雲がなかった。雲の流れる形から、山の上部を流れる風の向きが南東 → 東 → 北東 → 北としだいに変化した。フォレイカーの上部や山頂にも雲が出始めるが、強風ではないようだった。
アタックの前半は信じられないほど風が弱く、行動していて暑いくらいだった。しかし後半は雪煙が上がり、つむじ風に気温マイナス35度~マイナス40度と寒い。
午後5時3分、登頂。
飛ばされない程度の北よりの風(風速10m~15m?)、気温マイナス45度。
午後5時13分、下山開始。下っていくと、2001年のときと同じように北よりの風に襲われた。標高4400m付近で暗くなり、ガスをともなう風で視界が悪い。とてもこの状況でクレバス帯を抜けてC4手前のナイフリッジを下降することは不可能なので、雪洞ビバークを決断した。
プローブ(積雪の状態を確認するための連結棒)作業を省いて雪洞を掘り始めたため、すぐに硬い氷雪の層にぶち当たってしまい、プローブをやりなおす(初めからちゃんとやれ!)。最初に掘った硬い層のすぐ北側に、高さはギリギリだがなんとか夜を越せるスペースを作った。
ロウソクを灯して紅茶やラーメンを飲食したのは、翌日の午前1時を過ぎていた。南東稜のルート上はガスと北風が吹き荒れ、雪洞内から外の流雪の音がよくきこえた。上空は晴れ~快晴で星が見えていたので、明朝に風がやめばC4まで下れることはわかっていた。
まったく見通しがたたないアタック時の天気である。9時間以上かけて標高差1200m以上を登り、3時間ほどかけて標高差900mを下ったところで、ビバーク用の雪洞を掘らなければ死んでしまうことになる。前夜のカレーライスのパワーがきいたのか、余力が残っていて助かった。もし雪洞を掘る体力と気力が残っていなければ、死または重度の凍傷(というより死)は免れなかった。
(翌11日、C4帰着後に記入)
3月11日(入山40日目)
朝方に風は弱まった。晴れているがハンターに雲がかかり、その後デナリにも雲がかかり始める。昼ごろから突然フォレイカーにも雲がかかり始めて、やがてレンズ雲になる。まったく読めない山頂の天気。今日もアタック日和ではないようだ。
午前11時30分~午後1時58分にかけて、ゆっくりと慎重にクレバス帯の尾根とナイフリッジを下降する。昨日の疲労がまだ残っているので、安全のため休憩をとりながら最終キャンプのC4に戻った。C4ではコンロを使って凍ったウエア類を乾かした。
栗秋正寿
登山家。1972年生まれ。1998年に史上最年少でデナリ冬季単独登頂。下山後、リヤカーを引いてアラスカの南北1400キロを徒歩縦断。2007年、世界初のフォレイカー冬季単独登頂に成功。2011年に第15回植村直己冒険賞を受賞。20年以上アラスカの山に挑み続け、冬の単独行は合計16回、延べ846日。趣味は川柳、釣り、ハーモニカとピアノの演奏、作曲。