オーロラが舞う夜、一人きりのテントで。ブリザードが吠える夜、仄暗い雪洞の奥で。栗秋正寿は毎晩、かじかむ手で小さなノートに文字を刻んできた。世界で唯一の〝冬のアラスカ専門登山家〟による貴重な記録として、詳細なデータ満載のメモをほぼ原文通りに再現。シリーズ第1回は、2007年のフォレイカー冬季単独登頂(世界初、現在まで栗秋氏のみが達成)――《閑人堂主人》
2007年3月2日(入山31日目)
午前8時40分に目覚める。午前9時、雪洞入口の外の気温マイナス20度、雪洞内の気温マイナス10度。午前10時30分、C3(キャンプ3)の雪洞の入口が高い位置にあり、南を向いているので、日光が雪洞内に入ってきて気持ちがいい。これなら雪洞内や外でシュラフ干しができそう。
北よりの烈風が尾根上を吹き荒れている。三山はガスのなかで、標高3500m~3600m以上がとくにすごい。ここC3やデポ地点でも渦をまいた風が吹き下りてくる。
C3直下の3300m地点まで2往復して、すべてのデポを回収する。アイスクライミングの1ピッチ目のロープは回収した。C3直下の2ピッチ目のロープは張ったままたが、必要があれば回収する。C3すぐ上のクレバスにかかる、スノーブリッジの強度がもってくれればよいのだが……。あとは最終キャンプであるC4への荷上げを待つだけである。
午前中に雪洞内に日が差したが、フォレイカー上部の雲に日光がさえぎられてしまった。手もみで羽毛をほぐしたが、シュラフ干しはあまり効果がなかった。気象局(アメリカ国立気象局)によると、アンカレジやマタヌスカ渓谷は快晴~晴れ、強風の予報である。
午後9時40分、晴れ、月明かり、北よりの強風、時どきC3にも粉雪が流されてくる、雪洞内の気温マイナス11度、655ヘクトパスカル。
C3午後2時17分 → 3300m地点午後2時45分 → C3午後3時50分、C3午後4時26分 → 3300m地点 → C3午後6時2分。
3月3日(入山32日目)
悪天候のためC3で停滞。
夜中、メガネをかけずにした小便でダウンパンツを濡らしてしまう。アホや。要注意! 深夜、雪洞入口の外から風で粉雪が流れてくる音がした。
午前7時、午前8時と目覚めるがまた寝た。午前10時30分に起床、雪洞の入口が雪で完全に塞がっている。スコップとストックで外への穴をなんとか確保する。天井の換気口も開けた。雪洞内の気温はマイナス10度だが、火をつけるとマイナス2度~マイナス3度と暖かい。外もあまり寒くないようだ。
外は曇り、北よりの風、流雪、ガスをとおして日が差すこともあった。午前中に聴いた気象局によると、アンカレジとマタヌスカ渓谷は快晴~晴れ、曇り時どき晴れ、風が強いと報じている。
風で流れてきた雪を解かしてお湯をつくると、沸騰時にやたらシュワシュワと鍋底から泡がでてきた。酸性雨ならぬ酸性雪なのか? これを飲んでもお腹は大丈夫?
一日中雪~曇り、ガスのなか、午後から風はやんだ。時おり、風で流れてくる雪がある。ここC3でラジオの周波数をあわせていくと、AM9局、TV(音声)2局、FM39局(?)、なんとトータルで50局も聴ける! すごい‼ 多すぎ? 間違い? 天気のよい日にふたたびカウントしてみたい。
夕方前に除雪で外に出た。風による流雪のおかげで、雪洞入口のトンネルが長くなったぶん、雪洞内に風と雪が少し入りにくくなった。ラッキー!
3月4日(入山33日目)
昨夜からKTNA(タルキートナのコミュニティーFMラジオ)88.9MHzをチェックするが、スーシットナ渓谷の天気予報を一度も聴けず。今朝もチェックするがダメである。KTNAに天気予報の放送時間を聞かねばならない。
午前8時30分、コンロを点火する。雪洞の入口から外を見ると、上空は晴れだが南側の遠くに雲がある。アバランチスパイアなどはよく見えるが、その向こうは雲で白い。尾根上の風はやんだのか?
C3のすぐ上から西よりにルートをのばして、2本のロープを張った! 午後3時35分、標高約3500m地点の2ピッチ目に到達。これで尾根上に抜けられる! C3すぐ上のクレバスは問題なく通過したが、尾根上にもクレバスが数か所続いているようだ。
天気はやはり上空は晴れ、水平方向の遠くは曇り。午後から夕方にかけてフォレイカーの上部も晴れから曇り~ガス、北よりの風となる。2ピッチ張ったロープを使って下りている途中、尾根上の北風が強まってつむじ風が下りてきた。今日の行動でC4への荷上げがスムーズにいく。あとは天気、とくに風しだいだ。
昨日と今日の正午ごろ、C3の周辺で地鳴り?のようなクレバスの氷が落ちる音を聞く。不気味。地下で起こっている現象だろう。
午後8時、気温マイナス33度、雪洞内の気温マイナス10度、651ヘクトパスカル。
3月5日(入山34日目)
午前6時30分、快晴、北よりの微風~中風、気温マイナス34度。
C4手前まで荷上げをしたが、氷の状態がすごい。2001年のときより明らかに氷化したルートが多い。烈風がつくりだす雪と氷のデコボコも2001年のときより大きい。ピッケルの動作とアイゼンワーク(足運び)が多変だった。荷物は平坦地の先のクレバスを過ぎた地点にデポした。
行動中は北よりの風から、尾根上に出てからは南よりの風に変わった。地形的な風なのか?
昨日張ったロープ2本をそれぞれ20m~30mほど上部に移動させたほうがよいと判断。今日の下降時にアンカー(ロープを固定する支点)とともにつけ直した。
ザクザク、スカスカの氷雪のか所もあり、右アイゼンのつめでダウンパンツの左内側を切ってしまう。C3に帰着した後、布テープを貼って補修した。
午後7時、雪洞内の気温マイナス15度。午後9時30分、快晴、弱風、雪洞内の気温マイナス10度、645ヘクトパスカル。
C3午前11時15分 → 南東稜上の休憩地点午後1時20分 → 平坦地午後3時37分 → デポ地点午後4時18分~午後4時40分 → C3午後7時。
3月6日(入山35日目)
最終キャンプとなるC4(4080m)に移動。
午後5時10分から雪洞の場所探しを始めて、2001年のときよりやや北側の斜面にあたりをつける。尾根上でプローブ(積雪の状態を確認するための連結棒)すると2.4m以上も雪面に入るのでツイていると思ったが、なんと浅いクレバスの上を掘っていた!
雪洞が完成直前の午後8時過ぎ、仕上げとして床面を平坦にしていたらズボッとブーツがめり込んだ。1m以上? さらに底のあるクレバス(空洞)だった。水作り用に残しておいた雪ブロックをすべてクレバスに入れたが、もちろん足りない。結局だましだまし、さらに雪ブロックを床穴の上から入れて、とりあえずC4の雪洞が完成した。
雪洞の奥がクレバスのために寒いので、手前側の入口付近で食事や寝起きをする。雪洞内の気温マイナス15度。南東からの雲がデナリを覆っていた。天気は下り坂である。
C3午前10時42分 → デポ地点午後2時14分 → C4直下のロープ始点午後2時57分 → C4午後4時55分。
栗秋正寿
登山家。1972年生まれ。1998年に史上最年少でデナリ冬季単独登頂。下山後、リヤカーを引いてアラスカの南北1400キロを徒歩縦断。2007年、世界初のフォレイカー冬季単独登頂に成功。2011年に第15回植村直己冒険賞を受賞。20年以上アラスカの山に挑み続け、冬の単独行は合計16回、延べ846日。趣味は川柳、釣り、ハーモニカとピアノの演奏、作曲。