オーロラが舞う夜、一人きりのテントで。ブリザードが吠える夜、仄暗い雪洞の奥で。栗秋正寿は毎晩、かじかむ手で小さなノートに文字を刻んできた。世界で唯一の〝冬のアラスカ専門登山家〟による貴重な記録として、詳細なデータ満載のメモをほぼ原文通りに再現。シリーズ第1回は、2007年のフォレイカー冬季単独登頂(世界初、現在まで栗秋氏のみが達成)――《閑人堂主人》
2007年2月5日(入山6日目)
晴れ、北よりの弱風、気温マイナス22度、811ヘクトパスカル。
C1(キャンプ1)入り。BC(ベースキャンプ)~取りつき地点(デポ)間の旗ざおのほとんどを回収する。デポ手前のクレバス2か所に計4本、デポ直前のルートがまがるエリアの旗ざお数本は残してきた。C1直下のデポはスコップと旗ざおを回収して、ロープとクライミングギアはデポしたまま。
南東支稜のピーク付近に雪洞に最適な場所をみつけた。雪洞掘りのポイントは場所探しに尽きる。初めて「ヴァランドレ」のダウン上下を着て雪洞掘りをした。ダウンパンツがずれるのでサスペンダーはかかせない。雪洞掘りでダウンは濡れるが、着て乾かすのがいちばん早い。
気象局(アメリカ国立気象局)の予報では、しばらく好天が続く。高気圧がアラスカを覆っているようだ。
BC午前9時52分 → 取りつき地点午前11時17分 → C1午後2時20分、C1雪洞堀り終了午後5時50分。午後9時、雪洞内の気温マイナス3度と暖かい。
BCデポリスト……燃料×3ガロン余り(4缶)、ザック×1、ダッフルバッグ(緑色)×1、ダッフルバッグ(紫色)×1、スコップ×2、クレバスポール×2、3m旗ざお×2。
2月6日(入山7日目)
午前9時、快晴、気温マイナス14度?、雪洞内マイナス8度。
雲ひとつない晴天。三山に雪煙は見られない、アタックに最高な日和。
取りつき地点のデポを回収しに下る。下りで1か所、幅が30センチほどのクレバスをみつけた。ほかにも幅が狭いクレバスが数か所あった。アイゼンのつめ先で右オーバーシューズの縫い目を切るが、停滞時に直すつもり。今日の回収物はC1雪洞の上部の尾根にデポした。C1直下にデポしたままのロープとクライミングギアは後日回収する。
赤色の軽飛行機が飛来したが遊覧飛行だろう。「F-15」戦闘機2機がフォレイカーをかすめていったが、シャッターチャンスはなかった。
C1午前11時32分 → 取りつき地点午後0時36分~午後1時25分 → C1午後3時30分。
午後7時30分、快晴、微風、気温マイナス19度、雪洞内マイナス8度、756ヘクトパスカル。気象局によるとしばらく快晴~晴れ~曇りの予報。
2月7日(入山8日目)
午前8時、快晴、微風、雪洞内の気温マイナス10度、753ヘクトパスカル。
静かな夜だった。1998年冬のデナリのときの再来か? エルニーニョ現象で好天続き? 不気味……。
取りつき地点のデポ回収とC1直下の残りのデポ(ロープとクライミングギア)も回収した。取りつき地点にワタリガラスがいた! あと2回(2日)のデポ回収でここC1への荷上げが終了か?
午後からフォレイカー山頂に雲と雪煙が上がる。やがて三山ともレンズ雲がかかった。南から曇りとなり、気象局の予報でもデナリ国立公園は曇り~小雪、アンカレジやマタヌスカ渓谷は曇り~晴れとなっている。
C1に着いてから(ナショナル ジオグラフィック)TVクルー?を乗せたTAT(タルキートナ・エアー・タクシー)が飛来して、空撮をしながら自分の姿を探していたように見えた。その後、C1にいる自分を見つけたようで手を振って合図した。
まっちゃん(日本人写真家の松本紀生さん)の「かまくら」はかなりできたようだ。C1からでも双眼鏡でよく見える。人影やテント、かまくらの入口も確認できる!
入山後初めて足先の手入れをする。メンタームの量は多いか?
C1午前11時20分 → 取りつき地点午後0時4分~午後1時 → C1午後3時8分。
午後7時30分、曇り、微風、雪洞内の気温マイナス5度、751ヘクトパスカル。
2月8日(入山9日目)
午前9時、快晴~晴れ、北よりの微風、気温マイナス16度、雪洞内の気温マイナス1度、751ヘクトパスカル。
寝坊した。昨夜はすぐに眠れず、ラジオのカントリーミュージックを楽しんだ。
昼前にC1を発ってデポを回収しに下る。デナリとフォレイカーの山頂にわずかな雪煙を確認したあと、またたく間にレンズ雲がかかる。とくにデナリのレンズ雲がすごい。早朝に快晴でアタックしていたら、ひとたまりもない。フォレイカーもアタック日和ではない。恐ろしい。
取りつき地点で休憩中、「F-15」戦闘機2機がカヒルトナ氷河の本流を南下していった。
今日はこれまででいちばん重い荷上げとなる。重荷による「ザックまひ」なのか、手先がかじかむ。途中でダウンの上着も着た。C1に着いた際、気温がわずかマイナス12度しかないことに驚いた。
入山して3日間の風の日を除けば、冬とは思えないほど穏やかである。信じがたい。荷上げを2~3回に抑えて、30日分の装備で一気に登りたいが……。昼すぎと夕方、まっちゃんがいるBCにTATの「ビーバー」が2回ランディングしていた。夕方にはC1に飛来したが、無線交信はしていない。
C1午後11時38分 → 取りつき地点午後0時22分~午後1時27分 → C1午後3時52分。
午後7時45分、曇り~時どき晴れ、南より微風~時どき弱風、雪洞入口の外の気温マイナス12度、752ヘクトパスカル。
2月9日(入山10日目)
午前8時、晴れ、北よりの微風、気温マイナス15度、雪洞内の気温マイナス10度、754ヘクトパスカル。
最後のデポを回収しに取りつき地点に下る。スキーと同じポイントにスノーシューもデポした。オーバーミトン3ペア目、「FM10」カメラ、フリースミトン(未使用)もすべてC1に運び上げる。心配なのはスノーシューをC1に上げていないこと。
昨日と同様、デナリとフォレイカーには午後から雲がでて、大きなレンズ雲がかかる。今日もアタック日和ではなかった。ほんとうに読めない天気!
まっちゃんのテントはかまくらの南西側から北側に移動していた。なぜ?
C1午前11時 → 取りつき地点午前11時46分~午後1時33分 → C1午後3時50分。
午後7時、曇り、南東の弱風、気温マイナス14度、755ヘクトパスカル(入山10日目。5日ごとの気圧変化グラフをつける日!)。
栗秋正寿
登山家。1972年生まれ。1998年に史上最年少でデナリ冬季単独登頂。下山後、リヤカーを引いてアラスカの南北1400キロを徒歩縦断。2007年、世界初のフォレイカー冬季単独登頂に成功。2011年に第15回植村直己冒険賞を受賞。20年以上アラスカの山に挑み続け、冬の単独行は合計16回、延べ846日。趣味は川柳、釣り、ハーモニカとピアノの演奏、作曲。